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2009-07-29 [Wed]
デザインとデッサン

「真の芸術家は手を動かしながら考え、頭を使いながら描く」。それが出来る人の偉大さを改めて思い出す。私の場合どちらか片方に集中する、というよりもっぱら手だけでそれらしく描いてしまう。描けてしまい、さらに描いただけで満足してしまうタチがある。この辺は実際自分が美術系の仕事をやってく上で「感じる力=感覚=センス」が無いと認めてる。デッサン上手く描ける奴らは揃って満足しない、常に上だけ見て飢えてるような姿をしている。アトリエの画家やってる先生が言うには「8割方完成しかけたところで躊躇無く全部消して描き直せる奴は天才だ。」「僕は自分で描き始めて十秒で完成像が見えて、退屈に思えるから天才だ」という。デザインという仕事上は期限が有り、それに対しての妥協、「2割の力で8割の結果を出す」ようなやっつけ方が求められる。しかし、それに際限の無いアーティストという生き物に対し私は畏怖を感じずにはいられない。
感覚を鍛えることは上達に必須だ。しかし、それだけではなく手の技術が追いつかないと上手くならないので、「とにかく枚数描け」というのは手を鍛える上で有効だし、地道なパースレーションによる賜物である。ならば感覚の方はどうだろうか?それは本当に「才能」以外無いのだろうか?答えは否、本当に全てが才能に依るものであれば「美術大学」など存在する意味が無い、元々才能ある者が専門学校で技術だけ取得すれば済む話だ。感覚というのは変化する。変化するからこそ絵が変わる。しかしそれが必ずしも良い変化とは限らないし、最終的には受け手の好み・時代にウケるかどうかという所まで落ちる。だからこそ生活環境・人付き合い・その他様々な経験から自分の感覚を変化させ、その中で手を同時に動かし作品を産みそれを世に出し、その反響しだいで試行錯誤していくことで才能の壁は越えられる。ある程度の実践を積めば感覚的に「コレはウケる/ウケない」のだいたいの見通しがついて、それが見え始めるのが「プロとしてのスタート」だと思う。
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