2009-08-07 [Fri]
明日のバイトに備えて一応神を黒に戻したら、
不自然なほど真っ黒に成って、自分の顔鏡で見たくない状態です。
これ返って印象悪いんじゃねぇの?って思うくらい。
一応写真に載ってたのが黒の人だったから黒にしといたけど、
雰囲気的にそんな堅い感じじゃないし、
染めても大丈夫そうだったら一週間後にでも即染め直します。
それじゃ、履歴書書いてきます。
不自然なほど真っ黒に成って、自分の顔鏡で見たくない状態です。
これ返って印象悪いんじゃねぇの?って思うくらい。
一応写真に載ってたのが黒の人だったから黒にしといたけど、
雰囲気的にそんな堅い感じじゃないし、
染めても大丈夫そうだったら一週間後にでも即染め直します。
それじゃ、履歴書書いてきます。
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2009-08-06 [Thu]
家賃3万7千のアパートに帰って来ました。
いや、この狭い空間が良いね。
帰ったらすぐバルサン焚いて、友達の所にエスケープ
帰った途端すぐ正午過ぎまで飲みましたよ。
それとコミケのカタログ買って来ました。
この後、サークル見回してみます。が、
サークルカット見てて思ったのと雰囲気結構違いましたね。
普通にヲタクっぽいてか、地元の同人誌即売会に近いノリだったり。
東方の二次とか今度作ってみたいなって思ってたけど、
実際行ってみて雰囲気次第ではつらいものがあるかも。
デフェスで気合い入れてくつもり。
まだ何やるか考え中だけど。
今日はとりあえず部屋片付け/掃除してから、
時間あったら学校やら図書館やら、
それとさっさとバイト決めた方が良いですね。
普通に持て余され過ぎに成ってしまうので。
とりあえず手の届き易そうなとこからサッサとやって行きます。
いや、この狭い空間が良いね。
帰ったらすぐバルサン焚いて、友達の所にエスケープ
帰った途端すぐ正午過ぎまで飲みましたよ。
それとコミケのカタログ買って来ました。
この後、サークル見回してみます。が、
サークルカット見てて思ったのと雰囲気結構違いましたね。
普通にヲタクっぽいてか、地元の同人誌即売会に近いノリだったり。
東方の二次とか今度作ってみたいなって思ってたけど、
実際行ってみて雰囲気次第ではつらいものがあるかも。
デフェスで気合い入れてくつもり。
まだ何やるか考え中だけど。
今日はとりあえず部屋片付け/掃除してから、
時間あったら学校やら図書館やら、
それとさっさとバイト決めた方が良いですね。
普通に持て余され過ぎに成ってしまうので。
とりあえず手の届き易そうなとこからサッサとやって行きます。
2009-08-03 [Mon]
どうもご無沙汰です。
水・木に婆ちゃんの家行って、金もらって来ました(うわ)
いっしょに飯食いに行ったり、飲んだり、ROOKIES見に行ったりしました。
それと結構人生語りましたね(笑)
婆ちゃんの世渡り技術はウチの家系で最強なことが判明。
戦後ちょい後の貧乏な家に産まれて今に至るサクセスストーリー聞きました。
「笑顔が大事」ですと。他何も無くてそれだけで世の中渡って、親にも感謝されたってスゴイ人です。
近頃、無表情なんですよね。自分。
内藤大輔もROOKIESのセンセ役も笑顔だよね。
内藤大輔好きです。「自分には才能なくて努力しかない。」って。
それでチャンピオン成るってスゴイよね。
自分はどうなんだろ?って最近ずっと考えてる。
才能無いなぁ。そもそも才能ってなんだろ?
「努力する才能」なんて僕は詭弁だと思ってる。
どんな奴だって努力だけは出来るんだよって思ってる。
ついでにいうと努力にも色んな努力がある。
ただ描いて手を動かす以外の努力もあるんだと思った。
ただ、基本的に絵(デッサン)は「視れるか」「描けるか」の要は2つだけだと思う。
視れてる時は特に描けねぇって思うんだけど、少しでも視た姿に近付ける様にする。
そう考えると、絵って簡単だなぁって思った。
要はなんだで問題片付けるのって早いと思った。
自分って怠けるから、
「やれば出来る子」なんだと思っとけば良いと思った。
直感は割と大事にするけど思考も努力も暴走もする。
バイト応募して、荷物詰めて、本読み終えます。
水・木に婆ちゃんの家行って、金もらって来ました(うわ)
いっしょに飯食いに行ったり、飲んだり、ROOKIES見に行ったりしました。
それと結構人生語りましたね(笑)
婆ちゃんの世渡り技術はウチの家系で最強なことが判明。
戦後ちょい後の貧乏な家に産まれて今に至るサクセスストーリー聞きました。
「笑顔が大事」ですと。他何も無くてそれだけで世の中渡って、親にも感謝されたってスゴイ人です。
近頃、無表情なんですよね。自分。
内藤大輔もROOKIESのセンセ役も笑顔だよね。
内藤大輔好きです。「自分には才能なくて努力しかない。」って。
それでチャンピオン成るってスゴイよね。
自分はどうなんだろ?って最近ずっと考えてる。
才能無いなぁ。そもそも才能ってなんだろ?
「努力する才能」なんて僕は詭弁だと思ってる。
どんな奴だって努力だけは出来るんだよって思ってる。
ついでにいうと努力にも色んな努力がある。
ただ描いて手を動かす以外の努力もあるんだと思った。
ただ、基本的に絵(デッサン)は「視れるか」「描けるか」の要は2つだけだと思う。
視れてる時は特に描けねぇって思うんだけど、少しでも視た姿に近付ける様にする。
そう考えると、絵って簡単だなぁって思った。
要はなんだで問題片付けるのって早いと思った。
自分って怠けるから、
「やれば出来る子」なんだと思っとけば良いと思った。
直感は割と大事にするけど思考も努力も暴走もする。
バイト応募して、荷物詰めて、本読み終えます。
2009-07-29 [Wed]
パンク
発祥が1970年代中頃のロンドンだということを初めて知った。そして日本で流行が再び始まったのが1990年代だという。自分もメタルでROCKな感じが好きでなんとなく「パンクっぽい」服を好むのだが、その感性は古いのではないかと不安を感じた。しかし、このストレス社会の中どうして皆犬のように吠えないのか?私からすると不思議でしょうがない。社会ではしっかりやって行かなければ現代では生きていけない、またそのストレスにより自殺者は増加する、そのジレンマの抜け口はどこかで暴れ回るのが一番良いと思う。誰にでも「衝動」というモノがある。人間も動物の一部であり、理性も脳の機能の一部でしかない。人間であろうと脳の面積を占める割合は理性より本能の方がはるかに大きい。泣いて、笑って、叫んで、そういう意味の無い行為が私は好きでしょうがないのだ。野性的なものへの憧れは永遠だろうと思う。
ただ、そこで発散し切ってもまたしょうがないというのが私の考えだ。不満はバネに成り、やり場の無い怒りは暴れまわるしかないが、やり場のある怒りは違う。私が暴れまわるのは自分の反省の記録をし、より冷静に成り、次のアクションを起こすためである。本当の子供というのは悲しみを怒りに変えることが出来ず、ただ泣き続けるだけである。そういう意味である意味暴れることは大人しか出来ないことである。後は矛先をどこに向けるかである。街で暴れまわるならただのチンピラだが、暴れる場所によってはまた話が違う。一度道を踏み外して再起した後、大きな業績を残す例は少なくない。それほどまでに「野性」というのは驚異的な力を秘めてる。飢えて、一度絶望を知った人間ほど強い者はない。
問題は破壊欲を創造欲に変える、首を曲げる腕の力である。困ったことに最近私は物を創るより壊す方が性に合ってるのではないかと思い始めてるが。それはそれとして、独自のスタイルを創るのが大事かと思う。自分の有り余ってる力をなんとか良い方向に出せないか?そういうことを真剣に考えてる。その内日本の総理も元ヤンだったりするのではないかと思う。汚れや失敗まみれの人間の方が綺麗に育って来た人間よりはるかに共感も出来るし信頼も出来、何より応援したくなる。そう汚れや埃は人を惹きつける魅力に成るのだ。
発祥が1970年代中頃のロンドンだということを初めて知った。そして日本で流行が再び始まったのが1990年代だという。自分もメタルでROCKな感じが好きでなんとなく「パンクっぽい」服を好むのだが、その感性は古いのではないかと不安を感じた。しかし、このストレス社会の中どうして皆犬のように吠えないのか?私からすると不思議でしょうがない。社会ではしっかりやって行かなければ現代では生きていけない、またそのストレスにより自殺者は増加する、そのジレンマの抜け口はどこかで暴れ回るのが一番良いと思う。誰にでも「衝動」というモノがある。人間も動物の一部であり、理性も脳の機能の一部でしかない。人間であろうと脳の面積を占める割合は理性より本能の方がはるかに大きい。泣いて、笑って、叫んで、そういう意味の無い行為が私は好きでしょうがないのだ。野性的なものへの憧れは永遠だろうと思う。
ただ、そこで発散し切ってもまたしょうがないというのが私の考えだ。不満はバネに成り、やり場の無い怒りは暴れまわるしかないが、やり場のある怒りは違う。私が暴れまわるのは自分の反省の記録をし、より冷静に成り、次のアクションを起こすためである。本当の子供というのは悲しみを怒りに変えることが出来ず、ただ泣き続けるだけである。そういう意味である意味暴れることは大人しか出来ないことである。後は矛先をどこに向けるかである。街で暴れまわるならただのチンピラだが、暴れる場所によってはまた話が違う。一度道を踏み外して再起した後、大きな業績を残す例は少なくない。それほどまでに「野性」というのは驚異的な力を秘めてる。飢えて、一度絶望を知った人間ほど強い者はない。
問題は破壊欲を創造欲に変える、首を曲げる腕の力である。困ったことに最近私は物を創るより壊す方が性に合ってるのではないかと思い始めてるが。それはそれとして、独自のスタイルを創るのが大事かと思う。自分の有り余ってる力をなんとか良い方向に出せないか?そういうことを真剣に考えてる。その内日本の総理も元ヤンだったりするのではないかと思う。汚れや失敗まみれの人間の方が綺麗に育って来た人間よりはるかに共感も出来るし信頼も出来、何より応援したくなる。そう汚れや埃は人を惹きつける魅力に成るのだ。
2009-07-29 [Wed]
デザインとデッサン
「真の芸術家は手を動かしながら考え、頭を使いながら描く」。それが出来る人の偉大さを改めて思い出す。私の場合どちらか片方に集中する、というよりもっぱら手だけでそれらしく描いてしまう。描けてしまい、さらに描いただけで満足してしまうタチがある。この辺は実際自分が美術系の仕事をやってく上で「感じる力=感覚=センス」が無いと認めてる。デッサン上手く描ける奴らは揃って満足しない、常に上だけ見て飢えてるような姿をしている。アトリエの画家やってる先生が言うには「8割方完成しかけたところで躊躇無く全部消して描き直せる奴は天才だ。」「僕は自分で描き始めて十秒で完成像が見えて、退屈に思えるから天才だ」という。デザインという仕事上は期限が有り、それに対しての妥協、「2割の力で8割の結果を出す」ようなやっつけ方が求められる。しかし、それに際限の無いアーティストという生き物に対し私は畏怖を感じずにはいられない。
感覚を鍛えることは上達に必須だ。しかし、それだけではなく手の技術が追いつかないと上手くならないので、「とにかく枚数描け」というのは手を鍛える上で有効だし、地道なパースレーションによる賜物である。ならば感覚の方はどうだろうか?それは本当に「才能」以外無いのだろうか?答えは否、本当に全てが才能に依るものであれば「美術大学」など存在する意味が無い、元々才能ある者が専門学校で技術だけ取得すれば済む話だ。感覚というのは変化する。変化するからこそ絵が変わる。しかしそれが必ずしも良い変化とは限らないし、最終的には受け手の好み・時代にウケるかどうかという所まで落ちる。だからこそ生活環境・人付き合い・その他様々な経験から自分の感覚を変化させ、その中で手を同時に動かし作品を産みそれを世に出し、その反響しだいで試行錯誤していくことで才能の壁は越えられる。ある程度の実践を積めば感覚的に「コレはウケる/ウケない」のだいたいの見通しがついて、それが見え始めるのが「プロとしてのスタート」だと思う。
「真の芸術家は手を動かしながら考え、頭を使いながら描く」。それが出来る人の偉大さを改めて思い出す。私の場合どちらか片方に集中する、というよりもっぱら手だけでそれらしく描いてしまう。描けてしまい、さらに描いただけで満足してしまうタチがある。この辺は実際自分が美術系の仕事をやってく上で「感じる力=感覚=センス」が無いと認めてる。デッサン上手く描ける奴らは揃って満足しない、常に上だけ見て飢えてるような姿をしている。アトリエの画家やってる先生が言うには「8割方完成しかけたところで躊躇無く全部消して描き直せる奴は天才だ。」「僕は自分で描き始めて十秒で完成像が見えて、退屈に思えるから天才だ」という。デザインという仕事上は期限が有り、それに対しての妥協、「2割の力で8割の結果を出す」ようなやっつけ方が求められる。しかし、それに際限の無いアーティストという生き物に対し私は畏怖を感じずにはいられない。
感覚を鍛えることは上達に必須だ。しかし、それだけではなく手の技術が追いつかないと上手くならないので、「とにかく枚数描け」というのは手を鍛える上で有効だし、地道なパースレーションによる賜物である。ならば感覚の方はどうだろうか?それは本当に「才能」以外無いのだろうか?答えは否、本当に全てが才能に依るものであれば「美術大学」など存在する意味が無い、元々才能ある者が専門学校で技術だけ取得すれば済む話だ。感覚というのは変化する。変化するからこそ絵が変わる。しかしそれが必ずしも良い変化とは限らないし、最終的には受け手の好み・時代にウケるかどうかという所まで落ちる。だからこそ生活環境・人付き合い・その他様々な経験から自分の感覚を変化させ、その中で手を同時に動かし作品を産みそれを世に出し、その反響しだいで試行錯誤していくことで才能の壁は越えられる。ある程度の実践を積めば感覚的に「コレはウケる/ウケない」のだいたいの見通しがついて、それが見え始めるのが「プロとしてのスタート」だと思う。