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kuoromiブログ(仮)
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2025-12-12 [Fri]
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2009-10-25 [Sun]
 本の名前は「exist(存在)」とつけた。
本文を作り、表紙を作り、目次を書き、後書きも書いた。
後は印刷されるだけ、そこまでやった。
しかし、本は完成させなかった。
全てを放棄して今に至る。
まるで当然みたいに。
自分の「exist」はどこにも存在しなかった。

この喪失感に慣れてしまったらおしまいだと思う。
齢20で、これしか知らない僕はまさに終わっている。
初めから夢も野望も無ければまだ良い、
なにもそれに掛けるだけが人生ではないと思うし、
自分は「ただ幸せなだけの家庭」に産まれてきたから。
それを壊したのも自分だし、
なぜあの中で自分のような人間が育ったのかも不思議でしょうがない。

デザフェスに出ることを決めたのは春に参加したときから。
本格的にそれから準備し始めたのは夏から、
それに向かってずっとやり続けて、
最後の最後に平気で大した理由もなくそれを手放した。
これに至ってだけは誰の理解も共感も求めないし、
逆にそれを感じて欲しくもない。
ただ言うなれば「衝動」
そこで手を止めることを是とする自分がいる。


高校の卒業式の日。
学校をサボると言ったら親が泣いた。
なぜサボるかの理由は覚えてる。
終わった後の「打ち上げに行きたくなかった」
ただ、それだけで。
親は最後に卒業する自分の姿を見たかったって言って泣いた。

自分にとってつまらない高校生活で何の思い出もなかった。
それを掌返したように「3年間最高だったな・・・」
なんて言葉。













「反吐が出る」














そんなお為ごかしの終わり方より、
自分にとって痛烈なバットエンドの方がはるかに魅力的に感じた。
母校とそこにいる奴を恨んで怨んで止まなかった。
それをずっと言えなかった自分が、
最後の最後で復讐を果たした。
「最悪の高校生活だった。」
そう胸を張って、高校生活を終わらせたのだ。


受験の時もだし、
自分はこういう終わり方を心のどこかで望んでいるのかもしれない。


まずゆっくり休みたいのだが、
残念なことに疲れていないのだ。
やりたいこともない。
時間だけこれからある。

だからどこかへ旅に出ようか
どこへ行くかはわからない。
何を求めてるいるかもわからない。
それでもそれ以外今の僕に選択肢は無いって
感じるから、
だから旅に出よう。

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2009-10-15 [Thu]
KJB
 
2009-10-07 [Wed]
 秋っていうのは命が消える季節だ。
そんな時何かを創りたいなんて正気の沙汰じゃない。
ゆっくり感傷に浸っていたいんだ。
今まで過ごして来た、出会って、過ぎ去ったものに、
振り返りたい。こんな時だからこそ思い出してやりたい。

自然とだって前は向く。
そんな時はやって来る。

ゆっくりと秋雨と風の音を聴いて、
月をただ見るのも良いかもしれない。
感じたものを大事にしよう。

私の冬は冷酷だ。
もっとも感覚が研ぎ澄まされる、
鋭利な刃物のように成れるのは冬だ。
冬を生きて来た人間だからだ。

これ以上語るは無意味だろう。野暮というものだ。
そうだ、最後に神社を見に行きたい。
二年前暮らした街を見て来たい。
正直なところ今は時間が無いのだが、
カメラを持って紅葉を探すのも悪くない。
2009-09-20 [Sun]
 また、絵で仕事やるのあきらめようとか、
色々考えてたみたいです。
とりあえずやってみなさいよって感じですね。
普通に描いてる期間は長いけど、
描いてる量はガチで少ないですからね。
まず描くこと。これ大事。
要は良くないベテラン習慣みたいなのが身に付いてる訳ですよ。


次に、自分のスタイルって、
やっぱ口に出して決めた所で定まるもんじゃなくて、
もっと描きに描いた末出るのかなって、
そういう意味じゃ根本的に自分はこうしてくっていうのもまだ早いし、
まして絵の道完璧に諦めるのも早過ぎる。
ただ、他でプログラミングとか3Dとかやりたいことあれば、
そういうのもどんどん試してけば良いし、
手広く余分に今ならやれる時間があるからどんどん拡げて行く。
自分の趣味も。テレビ下に下ろして。
せっかく配信始めたんだから、
作業しまくれるしね。サメハダスタイルで。


次に売れるか売れないってこと考えてみる。
企業としてどんなの欲しいだろうかってのが、
だいたいわかって来たらそこを突き詰めても良い。
また、ある程度の描き分けとか融通を利かせなきゃいけない。


とにかく手広くやって、
絵に遊びを利かす、設定で遊べるように成る。
リアルにだけ描けりゃ受かるってもんじゃないからね。
まあそこは学校にデッサンしに行きゃ良いでしょ


とにかく諦めるのは早過ぎる。
見切り立てるのが死ぬほど早いってのは、
自分の難癖だから。絵にも出てるんじゃねーかなと思う。
ではでは
2009-09-06 [Sun]
 一言で地獄のようだった。
その割に後から得たものは?とっ考えると、

ラクガキが増えた。
映画2、3本見た。
パソコン操作がよりみじかに成った。
バイト3日程度


求めていた成果を挙げれたかというとほど遠い、

Fate読み切った。友達とだらだら過ごした。
盛大に遊んでないなと思いました
120%まで補充して0まで使い切って、
泥のように眠るのがベストですから。


絵描きさんの周囲観察してた。
この時点で見上げる側というか、憧れを抱かさせるより、
抱く側だなぁと思います。
それは結構だし、俺は常に下から見上げるスタイルだから良いんだが。
あまりに萎縮し過ぎてもはやはるか天井にある目的地が見えなく成っていた。


まあ、だけどこの際だから実力の差っていうのはこの際はっきりしておいた方が良い。
「その気に成ればいつでも描ける」という根拠のない自信があったのだが、
地力の差をしっかりと思い知らされた。
キャリアとかこの際抜きにして。
すぐに追いつくことは無理だとしても、
一年の猶予を置くとしよう。
一年で飛躍的に進化した人を俺は知っている。しかも仕事と両立で。
その人は熱心に「勉強」をする人だった。
そして無理にでも自分のことを
「きっと幸せなんだ」と言った。
その勇気に感服する。それだけのしたたかで大きな器なのだろう。
さて自分の特性上勉強はきらいなのだが、
そうも言ってられない。
力を発揮するのは枷を外した時かも知れないのだが。
長所を延ばす以上に、弱点の補強。
らしくないと言えば、らしくないのだ。
野生の塊のような自己だから。
だがはっきりいってなりふりは構っていられないということだ。


向いてないと自覚した上で他のことに興味があるわけでもない。
結果的に趣味に下がってもその努力は決して無駄には成らない。
「こんなに自分が才能がない」というのも、
周りの声が変わればまた変わる。
そんな軽いものなのかもしれない。




自分の将来わかんないんだけど、
もう絶対紆余曲折するなぁっていうのは想像付いた。
堅物の親には絶対言わんが、
まあ2、3度の転職やら、フリーター暮らしやらは当たり前だろうと思う。

そして今はただ一つの目標を追い続けるだけである。

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